昭和二十三年ごろのことです。神威桜沢のある家の子どもが、小学校を早退してきました。「気分が悪くなった」というのが理由です。家族の者が心配し、さっそく医者に診てもらったのですが、「別に異状はないですがねえ‥‥」ということでした。
しかし、やっぱり様子がおかしいので、相談をし、新十津川村(当時)に住む、ある祈とう師に見てもらうことにしました。すると、霊の乗り移った祈とう師が、「おれは桜沢の桂の木の下に住む白ヘビだが、先日、お前たちに蒸し殺しにされてしまった。このままにしておくのなら、桜沢を丸焼きにしてやるからそう思え」といったのです。これにはビックリしました。
桜沢のこのあたりは、もともとヘビの多いところなのですが、しかし、白ヘビとなるとなんとなく曰くありげで、それを聞いた町内の人々は、落ち着きを失ってしまいました。それ以来、「桂の木のところから火の玉が飛んでいるのを見た」とか、「木が泣いているのを聞いた」とかの噂が飛び交いました。それも一人や二人ではなかったのです‥‥。
ところで昔は、神威炭鉱で音頭を取って、春と秋に大掃除をしていました。これは神威炭鉱だけでなく、どこの炭鉱でもそうで、命令であり、掃除がきちんとできたかどうか検査もあります。床下まで点検するという念の入れようでした。
大掃除の時出されたゴミは、この桂の木のそばを流れる川、そこは三メートルほどの落差を持つ滝になっていて、ゴミがたまりやすい場所なのですが、それらと一緒に太陽にさらされた後、燃やされてしまいました。白ヘビがいったという「お前たちに蒸し殺しにされてしまった‥‥」というのは、この時のことなのでしょう。
町内会では何回かの話し合いがもたれ、その結果、神主に来てもらって、お祓いをしてもらおうということになりました。桂の木に注連縄を張り、御供えものもたくさん用意しました。御神酒のほか、塩・米・魚・野菜・果物・お菓子をです。子どもたちを集めて、相撲大会を開くことも計画しました。
最初、五月八日と日を決めて実施しましたが、その後、山神社祭り(五月十二日ごろ)と一緒におこなうようになり、さらに、山神社祭りが札幌神社(北海道神宮)の祭りと同じ日におこなわれるようになると、この行事もあわせることにしました。
神威炭鉱は閉山してしまいましたが、この行事は現在もおこなわれていて、六月十五日ごろです。昔ほどではありませんが、今も盛んです。おかげでこの四十年間、火災は一件も発生していません。市が鎮火祭をおこなっているように、この行事も、桜沢に住む人々の防火意識を高めるのに役立ってきたといえます。